- yuko Oishi
- 4 日前
- 読了時間: 6分
ねこだるま in ART INPUT 2025
会期:2025年9月18日(木)~9月21日(日)
会場:Gallery IYN
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ファンアート作品を描くに際しては、本家作品へのリスペクトが創作の原動力。
作品の雰囲気に合わせて塗り方、影の付け方、使うペンなどを作品に応じて変える為、描く度に絵柄は自ずと変化する。
本家作品があるからこそ描くことの出来る多様なイラスト表現は勿論楽しいが、一方で一次創作の場合は自らの心のままに、ゼロから自由に作り上げていくことが出来る点が面白い・・・
そう ねこだるま は語る。
無論、あまりにも自由だからこそ、そこに難しさもある。
然し自分の感性だけでひた走る感覚はやはり格別で、自分らしさ100%で構成された作品も、これから少しずつ増やしていければと考えているそうだ。
Q.これまでの創作活動の中で、あなたの一番の代表作と思われる作品を教えて下さい。
また、何故その作品をお選びになりましたか。
ねこだるま:「金魚少女」です。
正直普段はFAメインでお絵描きしているので、昨年IYNさんの企画に参加した際、ちゃんとした一次創作を初めて描きました。
代表作と誇れる程でもないですが、初めて真正面から自分の絵と向き合って描いた作品だったなと思い出深いです。己の好きを詰めて久しぶりに夢中で描きました。

作品の色味、選んだモチーフ、画中キャラクターのファッション・・・
何処を取っても ねこだるま の嗜好が表われている「金魚少女」だが、中でも金魚の何に惹かれているのかと言えば、水の揺らめきによって鰭の形が一定でなく、常に形が変わり続けているところ。
なので、そうした変容性のある主題は今後も挑戦してみたく、また抽象的で曖昧な存在にも以前から関心があるそうだ。
恐竜やおばけ、それから宮沢賢治が短辺童話の中で言及した“クラムボン”など・・・そうした謎多き者たちが、今後彼女の手がける一次創作イラストの主人公になっていくのかもしれない。
二次創作にせよ一次創作にせよ、専らデジタル手法で描かれているが、ちょっとしたクロッキーや描画の練習では鉛筆を用いているそうで、描画作業の楽しさを最も感じられるのは、そうした試し描き、落描きの折であるらしい。
学生時代と比べると、現在はどうしても創作時間が激減してしまっているが、そんな中でも ねこだるま は、早起き出来た朝などには鉛筆を手に取り、濃淡や線の強弱など、自身の手で直接コントロールできる感覚を確かめているそうだ。
Q.貴方の創作の方向性を決定づけた時期や出来事、また影響を受けたアーティストや作品などがあれば教えて下さい。
ねこだるま:決定的にこれ!というものはなく未だ方向性も彷徨い続けていますが、Eveさんの「僕らまだアンダーグラウンド」という曲のMVが初めて観た時から衝撃的で今でもずっと定期的に観てます。

「僕らまだアンダーグラウンド」という一つの楽曲から生み出された映像世界の存在感、完成度の高さに圧倒されて以来、ねこだるま は聴覚だけでなく視覚的に楽しむこともまた、音楽の楽しみ方の一つであると考えている。
なので、創作においてはその時々のお気に入り音楽からインスピレーションを受けることが多いそう。
「音を感じたままに絵に落とし込むことが、とても楽しいです」 とのこと。
ボーカロイド曲やアニメ曲、クラシック音楽まで様々なものを聴いているそうで、特にクラシックはその主題解釈が自由であることから、一次創作との相性が良いのではと彼女は考えている。
一体どんな作品が生み出されるか、新作の披露を楽しみに待ちたい。
取材の最後に、彼女に次のような質問を投げかけてみた。
Q.これまで創作において、人生において、苦しい状況に陥った際にどのようにして乗り越えてこられましたか。
ねこだるま:個人的に辛かったので思い出すのは高校2年生という1番青春を謳歌して欲しい時の出来事だったんですが、小3からずっとトランペットをやっていて、その当時所属していた音楽団体で団長を務めていまして。
大雑把に言うとそこで諸々あり、大人(運営陣とか保護者とか)の仲間割れ、それによるメンバーの不信感などなど起こり、大会出られないかも?ていうかこのままだと団無くなりそう?みたいになのを団長の自分が全ての中間地点に経って纏めて行かなくてはいけないことになりました。
色々大変で自分の意思などは最早なく、とにかく団を存続することを考えて大人のいざこざをなんとか間に入って仲介したり、メンバーが余計なことで不安にならないよう、上のいざこざは一切零さず自分も表に出さないを徹底して、家で一人死ぬ程泣いたりもしました。大人怖えーですよ、面倒になるとさり気にそれを押し付けて私の責任にすり替えてしまうのですからね。
結果的に大会は出れたものの、色々あったお陰で不十分な点が多く至らない結果となり、メンバーの悔し涙を見て罪悪感と喪失感でいっぱいでした。大人達からは団長頑張ったね、とお褒めの言葉を頂きましたが特に何も響きませんでした。どうしてその言葉を軽々しく口にできるのか。その後は結局上の仲間割れが加速して、私が団長降りて1年後くらいに無くなりました。悲しいかな。
と、いうことがありました。長くなりました失礼しました半分愚痴ですよねこれ。
これが長いことトラウマになりだいぶ立ち直れなかったのですが、最近は「理不尽な出来事も自分に必要なことだから運命的に起こる」と考えるようになって、少し気が楽になりました。
何となくあの日の思い出を無理に肯定しようとしたり忘れ去ろうとしたりすると、過去の辛かった自分を見捨ててしまうような気がしていたたまれなかったのですが、当時の出来事も自分にとっては必要なことで、今の自分の力になっていると考えることで、過去の自分も報われるような気がしています。ただこれの怖いところは理不尽をなんでも許容することになるということで、そうすると何が起こるかというと自分の意思、これはおかしい、自分はこうしたかった、が無くなっていくということですね。多様化の時代にあるまじき。
今回はそういうところをイラストで表現出来ればと思っています。
完全に乗り越えたと言えませんが、完全に乗り越えるためにはどうしたらいいか今絶賛模索途中です。今回描くこの作品で少しでもその答えに近付きたいです。
(取材/執筆:大石)
ねこだるまの作品を心ゆくまで堪能できる4日間
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