絵なんて飾らなくても。
村上春樹は「騎士団長殺し」の中で、「一瞬見ただけの人の顔を、あとで絵に描ける」人物を主人公に置いている。
そういう人は世の中にいるのかもしれないが、私が生きている限りは出会ったことがない。
主人公の彼のような能力があれば、出会った人々や過ごした場所の思い出をより鮮明に、より精巧に残すことができるだろう。
しかし、現実にはどんなに素晴らしい出会いや悲しい別れがあっても、時が経つにつれて思い出は薄れ、徐々に忘れ去られてしまうものだ。
そんな思い出を文章よりも精彩(時に曖昧)に、写真よりも曖昧(時に詳細)に残してくれるのが絵画ではないだろうか。
絵画は言葉の枠を超え、視覚的な表現によって人々の心に直接訴えかけることができ、作者の経験や感情が反映されるため、他の人とは異なる視点や表現が生まれる。
もちろん、思い出は描くことはできるが、思い出を頭の中から取り出してそのまま展示することはできない。
また、自分の思い出が、絵を描いた作家の思い出と同じであることはない。
しかし、違う人生を生きてきたはずの人物が自分の思い出と近しい風景や、抽象的な絵画を描いて、それが自分の思い出とリンクできたとしたら、素敵なことではないか。
感情でも同じことが言えるかもしれない。
素敵な人に出会った時のあの感情、大切な人と別れた時のあの感情は、
写真に残すことはできず、文章でも表現しがたい。
そんな感情を再現し、追憶させてくれるのが絵画ではないだろうか。
この世にあるすべての絵画を見たわけでもないし、知っているわけでもないが、
少しでも思い出や心情を想起させるような絵画選びができて、
お部屋やちょっとした時間に彩りを添えることができたらうれしい。
よく、音楽を「なくてもいいもの」と表現することが多いように思う。
確かに、音楽がないと雨風がしのげないかといえばそうではないし、
音楽がないと飢えて死んでしまうのかといえばそういうわけでもない。
しかし、音楽がないとどこかさみしい。
それは絵画でも同じで、例えば、本の表紙に絵がないと寂しいし、
お菓子のパッケージに絵がないと寂しい。
美術館に行くと、どうしても気に入った絵画のポストカードを買ってしまう。
日本には絵を飾る文化がないというが、
一度絵を飾ってみると、「あともう一枚飾りたい」となる。
音楽だけでなく、絵画によっても生活に豊かさが加わるのだ。
きっと潜在的に絵を求めているのではないかと、少なくとも私はそう思う。
絵画を選ぶ際には、自分自身の感情や思い出に共鳴する作品を見つけることが大切だと思う。
そして、その絵画が部屋や時間に彩りを添え、心を豊かにすることができるのではないだろうか。
音楽や絵画などの芸術は、人間の心に深く響くもの。
そのため、何もない空間には寂しさを感じるのは自然なことだと思う。
絵画が部屋の壁や空間に彩りを与え、心を豊かにするのはまさにそれが理由だ。
日常生活の中で、少しでもアートに触れる機会を持つことは、心の豊かさを育む上で重要な要素なのではないだろうか。
今まで絵を飾ったことがない人に、少しでもアートに興味を持ってもらい、
部屋の壁に絵が一枚飾られたならこんなにうれしいことはない。
画家ターナーの絵画に「レグルス」というものがある。
この絵は、こんな逸話を題材にしている。
レグルスという将軍が瞼を切り取られ暗い牢に閉じ込められた。そののち、強い陽光がさす所に引き出されたが、瞼がないのでレグルスはまばたきすることができず太陽を直視することになり失明した、という逸話だ。
この絵画はきっと写真に残すことができず、文章にしようにもこの絵画の強烈な光は表現できないだろう。
もちろん弊ギャラリーにも、魅力的な絵画がたくさん展示されている。
ぜひこのAI(アートをいい感じに提案する)サービスを利用していただき、「絵画が絵画として発する魅力」を少しでも知るきっかけにするとともに、絵を飾ることの魅力を感じていただけたらと思う。
Gallery IYNでは、それぞれにあったアート作品選びのお手伝いを開始しました。ご興味をお持ちの方は、是非LINEからご相談ください。
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