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森一樹 in GIFT2025


会期:2025年3月6日(木)~3月9日(日)

会場:Gallery IYN


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デジタル絵画
無題






画面の中には、いつも一人の少女が佇んでいる。

描かれている空間は、この世に溢れる様々な悪意から心を守るべく、少女のために作られた逃げ場所だ。

その景色を、寂しげだと感じる人も在るかもしれない。

しかし、其処はまるで胎児にとっての母体のように、少女を外敵から隔離し、優しく包み込んでくれている。


そんな独特の世界の描き手である森一樹は、中学生で美術部に入部して以降、絵画表現の基礎を学び、またデザインを専攻した大学時代にはデジタル表現も習得した。

原画展示をする際には水彩やペン、またはメディウムを多く混ぜ込むことで厚みのある表現が可能なアクリル絵の具を思いに用い、SNSへはデジタル作品を投稿。

発表の場に応じて手法を使い分けているのだが、「GIFT2025」においては、会場が遠方であることから、初めてデジタル作品のみで展示を構成に挑戦するそうだ。


森は、自身にとっての創作が如何なるものであるか、次のように語る。




Q. 創作コンセプトや創作活動を始めたきっかけや経緯を教えてください。


森一樹:長年の違和感が募って創作に繋がった。

幼い頃から周りとなんとなく異なると言う感覚があった。言葉では上手く言い表せないもどかしさもあり、吐き出せない事を自然と絵で表現するようになった。そして人とのすれ違いや違和感が積み重なり徐々に人と触れ合いたくないという感覚が大きくなっていった。どこにいっても人がいる。

一人の空間にいてもそれを作り出した人間の息吹が感じられる。生きてる限り逃げ場はないと感じ、絵の中に自分の安心できる居場所を求めるようになり更に没頭していった事が今も絵を描いている事に繋がっている。


デジタル絵画
「 メロンチエノジアゼピン 」

孤独とは、人と積極的に関わるからこそ感じるものなのかもしれない。

どんなに相手のことを深く知ろう、好きになろうと思っても、100%理解し合える、愛し合えるということは一種の幻想だ。

別個の人間であるからこそ、不満や嫌悪も感じてしまうのは至極当然のことであり、互いにどれほど近づこうとしても何処かですれ違ってしまうもので、両者が同じ地点に辿り着くことはない。

しかし、“絵”においてなら誰もが同じ感覚を共有することが出来るのだと、森は考えている。

無論、作品の解釈は十人十色だが、絵を描くための理論は誰に対しても平等であり普遍的だ。

異なる価値観や感性を前にしても、赤色と青色を混ぜれば紫になることや、黄色と青色から緑が生まれる事実に変わりはない。

その点においてなら、自分も他者と同じ輪の中に入ることが出来る・・・

絵を描くことによって得られるこの安心感は、己の逃げ場所を画中に求める森に、アートが与えてくれたGIFTであるのだそう。


作品に描かれた情景は自らにとっては安全地帯そのものなのだが、鑑賞者からは「怖い」「不安な気持ちになる」といった感想が寄せられることが多く、やはり自分の感覚は一般的ではないのだと感じるが、「それはそれで構わない」と森は言う。

ただ、もし作品が自身と近い感性を持った人の目に触れて、世間から見れば少数派であるその人に「安全な場所は作れる」と気づいてもらうことが出来たら嬉しいとも話してくれた。

万人に受け容れられずとも、自分と、自分に近い思いを持つ一握りの人たちのための聖域を、森はこれからも描き続ける。




Q.あなたの作品で、鑑賞者にどんな気持ちをGIFTしたいですか。また展示に向けての意気込みも教えてください。


森一樹:自分をもっと見て欲しいです。

価値観というものは周りから構成されていきます。

例えば、子供の時にああいう人とは関わってはいけないよと言われれば「ああいう人」の概念が構築される。

概念というものは共通の思想から成り立っています。

しかし、その共通は自分から出たものではないのです。

さも当たり前に普段使用している概念は共通思想をかき集めて場合によって使い分けているパーツに過ぎないのです。

ではその概念を取り払ったら何が残るのか。

無に等しい自分が残ります。だって自分は他人の思想を継ぎ接ぎにしたものなのですから。しかし、共通を取り払い自分だけの概念を手に入れた時に自分が出来上がってくると思います。その自分を大切にしてもっとよく見てあげてください。私が描いた絵に写ってる女の子こそが私にとっての自分です。


デジタル絵画
「 絶対に謝らない 」

必ず一日に一度は絵筆を持つようにしているという森は、描画が上手くいくか否かに関わらず、毎日絵の世界に触れているということが自分にとっては重要なのだと語る。

創作の動力である自らの感情に飲み込まれてしまわぬようにと、制作時は画面全体を冷静に見据えるよう常に心掛けているそうで、だからこそ作品からは、調和のとれた落ち着きと独特の静寂な雰囲気が漂うのだろう。


しかし、以前は深閑とした絵よりも、荒々しく怒りを画面にぶつけるような作品を多く描いていたそうで、そうした過去の自分も拾い集めながら、現在の自分と融合させていくことが今後の目標であるという。


取材の最後に、森に敢えて次のような質問を投げかけてみた。




Q現代社会に欠落していると感じる事や、自分自身の体験等から欠落していると感じる事を聞かせて下さい。


森一樹:現代社会には思考と無意味が

欠落していると感じる。

この間小学生が目の前で階段から落ちた。

擦り傷で済んだのだが、心配した女性が大丈夫かと声をかけているのに対し、無視を決め込み電話をかけ母親と話していた。

子供が悪いと言う話ではない。

不審者が増えてきている為、学校で知らない人と話すなと念入りに教えられているのだ。

きっとそれを忠実に守りながら彼らは

大人になっていく。しかし、上から決められた事を粛々と守っていく中突然それが壊れた時が一番恐ろしいと感じる。今まで思考は管理されるものだったからだ。全員が全員そうではないが、階段から落ちた小学生を見てその未来があり得る事を痛感した。

思考は一見無意味なものから生まれると感じている。例えばプログラミングを学んでいる子と水たまりを眺めている子がいるとする。親も含む教育者からすれば後者は何をやってんだか。と言う人が多いだろう。しかし、後者にとって水たまりは自分だけの思考の世界だ。何故透明なの?冷たいの?その疑問は他人が口を出さないかつ対象物が水たまりしかないからだ。最近はそのような世界がどんどん大量の意味で潰されていると感じる。少しでもいいから無意味を愛せる感性が育む社会を望んでいる。


(取材/執筆:大石)

 

森一樹の作品を心ゆくまで堪能できる4日間

GIFT2025を、どうかお見逃しなく!


森一樹のSNSも、是非ご覧ください。

instagram: @moriituki10

X(twitter): @GIBSONPICK

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《 森一樹 プロフィール 》

【自分が逃げられる場所】をコンセプトとして制作。

普段感じている人とのズレやそれに対する捌け口のなさ。そのような負の部分が溜まるたびにどこかへ逃げてしまいたいと思う。その場所は人がおらず、ただ意味のないものが羅列されている世界。意味を持たせるのが世界の基盤であれば、自分にとってそれすら馬鹿馬鹿しく感じる。

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