
私には、小説を読む友人が多い。
先日友人や後輩数人と食事に行ったときも、「芥川賞候補の作品どれが一番好きでしたか?」という質問から始まった。
読んでいる前提で話が始まることの気持ちよさと、得体の知れない気味の悪さが同時に襲ってきた。
ちなみに私は一冊も読んでいなかったので、それっぽい顔をして話を聞いていた。
そんな友人たちの何人かは、実際に小説を書いている。
書き上げた小説を読ませてもらうこともあるのだが、友人たちは口を揃えて「100回くらい心折れそうになった。」と言う。
わかる──。
私も小説を書くことがあり、構想を練ったり実際にパソコンに向かい執筆することがあるのだが、そもそも書く前から心が折れそうになっている。
「小説を書かないと生きている心地がしない」とか、「創作をしている時間が一番好きだ」なんてカッコいいことが言えたらいいのだが、残念なことに、私は家で寝っ転がってTwitterを見たりYoutubeを見ている時間が一番好きだ。
そして、創作をしている時間が一番苦しくて嫌いだ。
でも、なぜか机に向かってしまうし、形にしないとムズムズしてしまう。
「100回くらい心折れそうになったのなら、やめて寝ちゃえばいいのに。」と思うが、それが難しいことも知っている。
みなさんの創作の原動力はなんだろうか。
6畳のリビングの片隅で冷蔵庫がウンウン唸っている中、効きの悪いエアコンの風に当たっていた大学時代の方が書けていたような気がするなあと最近思う。
友人にその話をすると、
「お金がない時とか、気持ちが沈んでる時って、めちゃくちゃ筆進むよね」と返ってきた。
わかる──。
「火花」で芥川賞を受賞した又吉直樹氏も、小説を書くとき6畳かそこらの古いアパートを借りてそこで書いていたと聞いたことがある。
そういう環境に身を置くことは大事なのかもしれない。
さて、今回のタイトルにもなっている「上手な文章を書く方法」だが、ある日noteを見ていた時に同じようなタイトルの記事がおすすめに流れてきた。
そこには、「絵を書くときも、英語を話す時も、まず真似をする。模写をすることが上達の近道」とあった。
私が文章を書くとき、いつも思うことがある。
それは、「いつも、『〜た。』で終わってるなあ。」だ。
「〇〇が△△した。」「ここでこんなことが起きた。」「僕はこう思った。」「顔を上げるとそこには○○があった。」「ひどい頭痛が僕を襲った。」
書けば書くほど「〜た。」が量産されていく。
改善しようと小説を読んでみると、
「〜している。」「〜が好きだ。」「〜しているのだろう。」「匂いが上ってくる」「〜の頃のことなんだから。」など、本当にたくさんの述語が現れる。
これを自分のものにしようとするとき、やっぱり、模写や真似をするのが一番いいんだろうと思う。
なんだか無駄な時間のように感じてしまうし、簡単に「作業」に成り下がってしまうこの行為にこそ最も時間を割く必要があるのではないかと思う。