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今月は諸事情によりヒップホッピー漫画講座をお休みさせて頂いております。


代わりと言ってはなんですが、コラムコンテンツを充実させていければと思い、筆を取った次第です。


今回は「スランプ」に関する持論を語って行こうかと思います!

と言うのも、私の講座の趣旨として「末永く漫画というアプローチで人生を楽しんでもらいたい」という物があるので、「スランプ」という概念は特に打破しておきたい物だからです。



○スランプの種類



経験上、個人的に絵描きに取ってのスランプには2種類あると考えています。







・一つは技術的な壁を実感してのスランプ。

・もう一つはアイデアが出てこなくなってる観念的なスランプ。


この2つです。


前者は言わば「今自分が習得した技術でやれる事をやり尽くした」といえる状態で、アイデアに対して表現力が追い付いてない故の悩みと言えます。

ただ、私はこう言うタイプの悩みに関しては解決の糸口はシンプルだと考えておりまして、「作画・表現技術」というのはありがたい事に、絵描達の長い歴史を体系化して後世に分析した上で残してくれているお陰で、学習しようと志せば、案外欲しい情報に辿り着くのは早かったりします。

情報共有もSNSで積極的にしてくれてる人も多いので、「○○ 講座」「○○ 描き方」と調べるだけでもモリモリとヒットしたり…

導線が無数にある分、人によって合致したアプローチにも巡り合いやすいと言えるので、「座学に1秒も使いたく無い!」って人でも無い限りは時間が解決してくれるタイプの悩みと言えます。



問題は後者。

これは「自分の今持ってるネタが引き出しから全部出切ってしまった」という状態と言えます。こうなって来ると、幾ら思索に時間を費やしても「無いものは無い」ので、焦燥感だけ高まっていく危険な状態です。

こう言うストレスは人間耐えられる物では無いので、成長を実感できず停滞感に蝕まれ、ジャンルそのものから脱落してしまいがちです。




厄介な症状ですが、脱出方法としては「ネタが無くなったなら、また仕入れてくれば良し」と言う所に尽きます。

こちらも根本的な所は前者と同じで、「現状でやれる事を全部やり切った」から発展性が損なわれているワケなので、好奇心のアンテナの周波数を変えて、別のジャンルにアクセスしてみるのが解決の糸口として確実です。


「今まで描いて来なかった題材を、今の自分で再解釈してみたら…?」から始めて、知見を広めるも良し。

「普段目にする景色はどう言う人の営みから形成されたものか?」に思いを馳せるも良し。

或いは映像ではなく、詩や俳句と言った文字媒体の人達が紡いだセンスがヒントになったり、全く違う仕事の人達が理想とする世界や働きが、自分の中に燻っている新たな情熱を再認識させてくれると言うこともあります。



○スランプと、オリジナリティの模索


それとは別に、ここでもう一つ壁があるのは「オリジナリティ」。

色々齧っていくうちに自分のやりたかった事を見失ってしまう人というのも居ます。

要するに「自分は本当は何が好きでコレをやり始めたんだっけ…?」と言うのに直面して立ち止まってしまうパターンですね。

この点に関しては、誰かに言われたから解決すると言う物では無い、自問自答を繰り返して掘り下げるしか無い悩みなのですが……



『これこそが「創作の醍醐味」であるならば、実は「スランプ」とは似て非なる物』と言うのが私の持論であります。



歴史に名を残した巨匠達の歴史を知っていくと、『生涯通して「自分の目指す究極」を追い求めた』という側面を感じ取れる事が散見されます。



日本の巨匠で言えば葛飾北斎。


「富嶽三十六景」を筆頭に、浮世絵といえばこの人!と言う、ジャンルの頂点を極めたであろう人物が、晩年にも「80越えてるのに、猫1匹可愛く描けねぇんだ」と愚痴を零したり、もっと生きられたらきっともっと良い作品が描けるのに!とぼやいたりしていたという逸話があります。


「成る程、それでは我々の悩みは、巨匠らが通った道と同じ物で有ったか…」と考えると、手間は手間ですが、現状感じているスランプを打破するために、殻を破る気概と勇気も湧いて来るんじゃないでしょうか?


あとは心身共に健やかに…というのが秘訣ですかね。


今回のコラムはこの辺で終わりにしようかと思います。

長々と読んでくださりありがとうございました。

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