厨二病の呪い

最終更新: 2023年4月28日

思い返すと、ちょうど中学生くらいの頃学校では「厨二病」という言葉がよく飛び交っていた。うろ覚えだが、きっと中学生くらいの時だったと思う。

また、「オタク」という言葉も出てきて、それは今と比べるとかなりネガティブな意味を持っていた。

これも確か私が中学生くらいの時。

私はこの言葉が今でも怖い。

先日庵野秀明展に行った。

そこには庵野氏が子供の頃に見ていた漫画や、子供の頃に描いた絵画、大学生時代に描いた絵コンテ、監督として描いた設定資料などが並んでいた。

そこには、「誰に何を言われようと好きなものは好き」とでも言わんばかりに、生き生きとした絵が並んでいた。

エヴァンゲリオンというと当時はオタクの代名詞のようなイメージがあった。今でこそ興行収入100億円を超える大ヒットで社会現象にもなったが、当時の私にとっては未知の領域で踏み入るのに勇気が要る世界だった。

大阪で、「庵野秀明展」というタイトルでイベントが開催され長蛇の列ができている今、改めて彼の作り上げた世界を見てみると、「厨二病」とか「オタク」といった表面的な言葉で表現してはバチが当たりそうなほど作り込まれた設定がある。

中途半端に終わってしまうとそれは「厨二病」として捉えられ、「黒歴史」として葬り去られるのかもしれない。

当時私がワクワクしながら描いていた設定資料も、机にかじりついて描いていたキャラクターも必殺技も、描き続けていたらもしかしたら…。表面的な言葉に耳を貸さず、自分の「好き」をとことん突き詰めて具現化していたら…、とそんなことを今になって思う。

例えばワンピースが世に出ていない世界があったとして、「ゴムゴムの銃(ピストル)」と書かれたノートが押し入れから見つかったらどうだっただろう。

自分が想像している世界を最後まで作り上げることは難しく、楽しい反面苦しいものだと思う。

しかし、中途半端に終わってしまうことはもっと悲惨な未来を生むのではないかと思う。

私は今、当時考えていた設定とほとんど変わらないようなものを飽きもせず考えている。

しかし当時と違うのは、何度も心が折れそうになりながらも創作を続ける友達がいること。

そして「何かを続けること」に想像もできないくらいの価値があることを知っていること。

今でも自分が生み出すものがどう思われるのか怖いし、笑われるんじゃないか、と思う。

しかし、最後まで作り上げそれを世に出した時、きっと一人くらいは「好き」と言ってくれる人がいる。

ネガティブな声は大きく聞こえるが、そんな声よりもちゃんと見てくれている人の声に耳を傾けたい。

その最初の一人はきっとそれを描いている自分かもしれない。

そして、その「好き」に耳を傾け、信じて描き続けた先には、想像もできないほど大きな価値を持った世界が広がっているかもしれない。